建築家米村和夫

風のアトリエ/米村和夫建築アトリエ代表 米村和夫

「風」をテーマに設計活動を行う建築家

「風」をテーマに設計活動を行う建築家

米村和夫 プロフィール

1964年、愛知県生まれ。1986年に日本大学理工学部建築学科を卒業後、建設会社設計部、伊藤喜三郎建築研究所を経て、1990年に独立。組織改編を経て、「風のアトリエ/米村和夫建築アトリエ」の代表取締役となる。学校法人中央工学校建築工学科の講師(1995-2008)なども歴任。
数々の設計競技における入選歴を持ち、なかでも1986年の「第21回セントラル硝子国際建築設計競技」の最優秀賞を獲得した評価は高い。独立と同時にバックパッカーとしてヨーロッパを旅し、建築・文化を4ヶ月半にわたって学ぶ。その後もアジア・南米などへの旅を繰り返し100都市以上の街を歩く。旅の体験や感覚を取り入れた建築空間構成、「旅感覚」および「風」というテーマを設計活動に取り入れている。

米村和夫のこれまでの歩み

ヨーロッパの建築

愛知県で生まれて

織田信長と同じ愛知県の清洲市で生まれ、その後は名古屋市のベッドタウン日進市に引っ越して高校生までを過ごしました。当時の日進市は田んぼや畑や森ばかり。通学路には牛が、川には亀がいるなど、のどかで牧歌的な田舎風景がひたすら展開される通学路でした。今の僕がのどかな風景に強く憧れるのは、子供のときに過ごした原風景があってのことだと思います。

ヨーロッパへ。バックパッカーの旅

ヨーロッパへ。バックパッカーの旅

一級建築士試験に合格した26歳(平成元年)のとき、バックパックをかついで4ヶ月半のヨーロッパの建築めぐりをしました。これは、自身の建築空間を求めての放浪旅行です。当初3ヶ月の予定だったのが、気づいたら4ヶ月半! 楽しくて楽しくて、毎日がワクワクしていました。

4ヶ月半の有り余る自由な時間に考えたことや、人や異文化、異風習との出会いは今でも忘れられない大切な体験です。その前後にアジアやアメリカ、南アメリカ、一部アフリカにも足をのばしました。合計で100都市以上を巡り歩いたことになります。

異風習との出会いと建築

南米、アジアの国々から学ぶこと
僕は、「第三世界」と言われる諸国の街を旅することが特に大好きでした。貧しさなどで生活に不自由さはあっても、生き生きとした笑顔にあふれる街がたまらなく好きなのです。こうした街には、独特の風(空気、雰囲気)が流れています。その風こそが、人間にとって大事なのではないかと思うようになりました。

建築における「主役」とは、そこで生活する人々です。その人たちが楽しく生き生きと過ごせる日常生活があってはじめて建築家の仕事は成立するのです。机上の理論だけの建築や、かっこいいだけの建築なんて意味がない……そんな当たりまえの事実を学ぶことができました。「いい建築は、そこで生活する人も生き生きしているものである」――そんなことを意識して、建築の奥深さを探求するようになりました。

「流人の島」などといったイメージ

屋久島へ、八丈島へ

最近では、憧れの屋久島に行ってきました。一日がかりで山登りをし、世界遺産の自然に触れました。屋久島もまた、人々の笑顔が素敵で、自然の神秘な魅力にあふれた最高の場所です。

また、八丈島も非常に面白い土地でした。「流人の島」などといったイメージもありますが、羽田から飛行機で1時間足らずで行ける亜熱帯の島には強く惹かれました。自然にあふれる環境って、素敵です。

「建築の世界に入って良かった」

講師として、二足のわらじ

建築家業のかたわら、専門学校での非常勤講師を勤める「二足のわらじ」を14年経験しました。僕は、学生との会話が大好きです。建築のこと、デザインのこと、将来の夢や不安、その他いろいろな会話から、学生に何らかの手助けができることは教員冥利につきます。

建築の面白さを伝え、1人でも多くの学生から「建築の世界に入って良かった」という声を聞きたいと思っています。